シンプルなモノと複雑なモノの交差点。


あるお天気のいい休日、目立ち始めたお腹をさすり
ティーカップを片手に姉さんは言った。
「あなたの年齢でワケありじゃないヒトなんていないでしょう?
みんな何かワケありなのよ。」
胎児にはよくないカフェイン。
ティーカップにはカフェインの含んでいない温かな飲み物が入っているようだ。
「ワケあり・・・ね。」
わたしは姉に微笑した。



点と線がつながった。
ヒトはどこまでいってもどこかでつながっている。
ミトコンドリアDNAをたどっていけば
彼女も彼も「あなた」もどこかでつながっている。
ただ、リアルにつながりを黙認してしまえば、
世の中のからくりにわたしはシラけてしまう。
わたしの染色体はいったい誰が受け継ぐのだろう・・・。



mujuの夢を見た。
彼もいろいろな意味でワケありだ。
「ハードロック・カフェ」などとうてい似合いそうもないヒトだ。
コム・デ・ギャルソンの派手なシャツに身を包み
チャクラとクンダリーニについてわたしに語る夢。
そして夢の世界で、静かなゆっくりとした話の仕方を彼から学んだような気がした。
「わたしゲルになってしまいそうだわ。」
彼はわたしのその言葉に静かに笑った。
わたし的表現がおかしかったのだろう・・・。
目が覚めるとmujuはそこにはいなく、それが夢だったと気がつくまでには数秒を要した。



ヒトはみんな嘘つきだ。だけど、それでいいと思う。
嘘はときとして、ヒトを安堵させるし、病的なものをクリアにさせるし、
毒も抜いてくれれば快楽も与えてくれる。
たとえ刹那的なものであっても、それは「躰と脳」という歴史に記憶されるのだから。
人生は長くて短いようなモノ・・・と、先日 
ある方から少しセンチメンタルなemailをいただいた。
平凡な一日一日の積み重ねが人生なんだと思う。
昨日を振り返ると、普通に仕事をして、普通に誰かと会話をして、普通に珈琲を飲む
普通のわたしがいる。そんな毎日の繰り返し。
でも積み重なるとそれは人生という大きな塊になり、
決して退廃的で空虚なモノではなくなってしまう。
わたしは描かなければ(或いは書かなければ)ならない衝動に駆られた。
描きたい、描きたい、描きたい・・・。
シンプルな生活の裏側で、脳だけがわたしを複雑化させていく。
休日はとにかく、たくさん眠らないと。
死海の泥パックと、モノイオイルでリラックスしよう・・・。